古野隆雄:那些自然教我的事儿

 

 

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/古野先生的自传封面/

日本福冈县嘉穗郡桂川町小村子,叫“寿命”,被高低起伏的山峦环绕,8户农家分布在山脚下。

穿着泛白的蓝色连体工装裤,戴着棕黄色的鸭舌帽,一双乳白色的橡胶雨鞋上沾着泥,“稻鸭共作”创始人古野隆雄先生站在新开垦的农田里。

出生在上个世纪50年代,古野隆雄见证了自己的父辈通过农药和化肥增加了收成,也眼看着水田里的鱼儿越来越少,直至消失。“因为人类的活动,自然成为受害者,如果自然与人共生的话,这些鱼儿应该回来。”一边读博士,古野先生一边在农村,摒弃化肥农药,研究最自然的生产方式。

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/养在竹林里的鸭子(夏燕南/摄)/

古野隆雄与“稻鸭共作” 

每年6月份,把雏鸭放到水田里去吃害虫和杂草,排出的粪便给水稻当肥料;8月把鸭子从水里抓起来放进竹林里养,吃落在地上的竹叶,顺便给竹笋松土;到了11月,鸭子肥美,下霜后和地里出产的葱和萝卜一起卖出去。这就是古野农场闻名的“稻鸭共作”,用最自然的方法把种植业和养殖业结合起来,形成良好的生态循环。

 

这是古野先生自己摸索的经验,道理看似简单,但是把鸭子和水稻放在一起养,怎么让鸭子不吃水稻?鸭子放养怎么不逃跑?怎么不被山里的野兽吃掉?这些都是书上没有的。

“做农业,要亲自观察体验,光看书是不行的。”比起经过他人脑袋加工的信息,古野先生更赞成自己去感悟。

为了传播自己的农业理念,古野先生经常到各地推广经验,他到过中国,发现去听他演讲的都是政府官员,农民来的并不多。

“政府和农民是两回事,政府说了没用,还是要农民主动参与,有自己的认识才会有效果。”古野先生的农场会招研修生,不收学费,包吃住,一年之内可以参加这里所有作物的种植,从中学习农业知识。

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/村落里的蔬菜大棚(夏燕南/摄)/

农民都是国际人 

“农民都是国际人。”古野先生说,农业是国家的根,虽然气候条件、土壤情况不同,但是靠天靠地的农业认同感是一样的。

“人和人的连接,人和自然的连接,才会形成地域,进而形成了人们的认识。”农业形成的人与人的联系是跨越国界的,2011年3月11日,东日本大地震,远在中国新疆的一位农民朋友打电话给古野先生,告诉他要是日本核泄漏了,就去新疆,在那里他能活。而在台湾的朋友也打电话过来问他是否安全,如此的情谊让他感动万分。

走进村子,古野先生没有马上带记者去看他的鸭子,而是走进了山脚下的一个神社。在日本,农民敬畏自然,春天和秋天都会举行盛大的祭祀活动,乞求风调雨顺。

“当、当、当”,神社的钟声低沉而悠远。神社前的木板上刻着字:猪狗不能进,鱼鸟不能抓,竹木不能砍。桂川町的神社建于明治时代,已有300多年历史,文字的刻痕已经模糊,神社门口的大树却十分粗壮。

“在日本,人们常说,要对地球友好,对环境友好,应该说,地球本来就是友好的,不能去破坏。”古野先生说,“我们现在过得舒服,要考虑子孙后代。”

在农田的两头各插一根竹竿,竹竿中间有一根发丝般细的黑线。“这是用来防乌鸦的。”古野先生解释说,在日本乌鸦随处可见,为防乌鸦,一般农田都用稻草人,可几百年过去,早就对乌鸦没了震慑力。为了防止乌鸦偷吃稻谷,但又不能伤害他们,古野先生想到了这个办法,经过许多次测试,发现乌鸦可以躲开透明的线却避不开黑线。

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/鸭舍里的鸭子们(夏燕南/摄)/

农业需要等待 

四十年的农业劳作,春种秋收,古野先生学会了等待:“农业和工业最大的区别是,农业必须要等,工业不需要等。现在人们失去了等待的耐心。”

古野先生打了个比方,工厂一个月可以生产一万台车子,要是卖得好,下个月可以马上加大投入,生产三万台。但是农业不能这样,必须遵循作物的习性,急不得。随着农业生产技术提高,一年四季都可以买到水果,但水果的味道和吃水果的心态,与从前不一样了。

村里8户人家有7户已实现农业现代化,种植大棚蔬菜和水果。只有古野家还在坚持最自然的露天种植,连肥料都是自己亲手调制:用鸭子和牛粪堆肥,把贝壳碾碎了给植物补钙。“堆肥的成分比较复杂,作物吸收量有限,营养成分有些会沉积在土壤里,土壤的肥力也会上升;化肥里的一些成分作物吸收不了,营养不好,食物的味道会变差。”

“你们知道草莓是什么时候的水果吗?”古野先生突然问,“很多人都以为是冬天,因为圣诞节前后卖得最贵,但实际上露天种植的草莓五月份才上市。”古野先生说。为了适应市场,很多农户采用大棚种植,踩着节日卖个好价钱,时间久了,没有从事过农业劳动的人就把草莓当成了冬天的水果,也忘记了它原本的味道。古野先生笑着拿他的小孙子举例子,这孩子只吃5月的草莓,说吃冬天的草莓就跟喝水一样,味道太淡不要吃。

全家务农齐上阵 

古野家有五个孩子,儿女们都很支持爸爸的有机农业,和爸爸一样,他们大学毕业后都都回归农田,从事有机农业。在古野看来,能够和家人在一起工作,孩子可以吃上健康的食物,再辛苦也值。

在刚开始尝试“稻鸭共作”的时候,鸭子一批批地死去,不断尝试不断失败,古野先生曾想过要放弃。可当儿子问他:“爸爸,你怎么不买鸭子了?”古野先生知道自己的一举一动都被孩子看在眼里,自己是孩子的榜样。

古野先生把教育分成三种:学校、家庭、社会,一般人对学校教育期待较多,没有做到三者之间的平衡。古野先生通过农业劳动对孩子进行自然知识和道德情操的教育。

现代社会中,整个家庭一起工作的情况并不多,大城市里基本没有,古野先生认为通过工作可以形成一个人的人格和生活方式。虽然全家齐上阵,可每个人负责的内容不一样,儿子种洋葱,女儿种小麦,术业有专攻,有什么问题大家聚在一起总能解决。

自产自销用农业创造“缘份” 

在古野先生家门口,有一块木板写着“直产直卖”,省去了中间环节,原本农家只能得到20%的利率,现在可以多赚很多。古野先生在地里只管种田,做农业研究,儿子负责网络运营。

农产品有固定的消费者,客户直接在网上下单,两个儿子负责送货,“反正自己的儿子不用付工资。”古野先生说到儿子时笑得眼睛眯成一条缝。

古野先生把自己和消费者的关系描述成亲戚朋友,孩子结婚时还有客户给自己发祝贺信。在自传里,古野先生写道:“我希望和消费者的关系可以是面对面的,希望他们可以亲身体验农业,和我形成共识。”

希望和消费者的关系不仅仅只是停留在钱货交易上,他希望建立“缘农”的模式——用农业创造缘分。消费者可以到农田来,享受拔草种田的乐趣,“吃自己种的食物,感受是不一样的,我希望的农业,是生产者和消费者一起努力,一起劳作,共同感受农业劳动带来的知识和乐趣。”

“日本现在农业从业人口平均66岁,再过五年的话,农业可能没有发展空间了,要将农村的传统保留下去,这是一种生活方式,要是适应不了就会消失。”谈及未来农业的发展,古野先生有一些担心。越来越多的机器人投入工业生产,代替了人力劳动,在人工智能比较发达的时候,人可以干什么?古野先生推荐用农业来吸收就业,让人们自己去接触了解自然。

文/夏燕南


「あの自然が私たちに教えてくれたこと」

 

古野隆雄さんが理想とする農業は、生産者と消費者が一緒に努力し、耕作をし、ともに農作業から得られる知識と楽しみを味わうこと

 

 文/夏燕南

 

日本の福岡県嘉穂郡桂川町、ここにある”寿命”という小さな村は、起伏のある山に囲まれ、8世帯の農家が山裾に暮らしている。

”合鴨農法”創始者の古野隆雄さんは、開墾したばかりの田んぼに立っている。

1950年生まれの古野さんは、自分の父親が農薬や化学肥料を使って収穫を上げる様子を見てきたが、一方、水田の魚がどんどん減り、姿を消すのも目の当たりにしてきた。

「人間の活動によって自然が被害者になるのならば、逆に人間と自然が共生すれば、こうした魚は戻ってくるはずだ」と彼は言う。

そして、博士号を取得したのち、古野さんは化学肥料と農薬を棄て、最も自然な生産方式を研究した。

「犬やイノシシは入ってはいけない。魚や鳥は捕まえてはいけない。竹や木は切ってはいけない」。山裾の神社にある看板にはこう書かれている。

日本では、農民は自然の畏敬し、春と秋には大掛かりな祭りを行って天気に恵まれるよう祈る。桂川町の神社は明治時代に建てられ、すでに300年の歴史がある。看板の文字はすでに色あせ、神社の門にある大木は実に太い。

「日本人はよく、地球にやさしく、環境にやさしく、破壊してはいけないと言う。たとえ私たちが現在、過ごしやすいからといって、やはり次の世代のことを考えなければならない」。古野さんはこう話す。

これは彼の農業に対するだけでなく、自然や生活に対する態度である。

 

 「農業は自ら感じ取らなければならない」

 

毎年6月、ひなのカモを水田に放ち、害虫や雑草を食べさせる。ふんはそのまま稲の肥料になる。8月、カモを水田から引き揚げ、竹林で育てる。地面に落ちた竹の葉を食べるので、タケノコが順調に生えてくる。11月になると、カモは餌をたくさん食べて肥え、美しくなる。霜が降りるころ、育ったネギや大根と一緒に売る。

 

これが有名な古野農場の合鴨農法だ。最も自然な方法で農業と家畜を結び付け、望ましい生態の循環を形成する。古野さんが自身の経験で模索したもので、理屈は簡単なように見えるが、カモを水田に放ちながら、いかにして稲を食べさせないようにするか。どうやってカモを逃げないようにするか。いかにして山の動物たちからカモを守るか。こうしたことは書物には書いていないのだ。

 

「農業は、自分の目で観察し、体験しなければならない。本に頼ってだけではダメだ」。人の頭で加工された情報よりも、古野さんは、自分で感じ取った情報を重んじる。自身の農業理念を広めるため、古野さんはしばしば各地を訪れて経験を語っている。中国にも来たことがあるが、彼は、聞きに来るのが政府の役人ばかりで、農民が少ないことに気づいた。「農民が進んで参加しなければならない。自分自身が知って、初めて効果がある」。古野さんは、残念な思いをこう語る。

 

農業の理念を広めるため、古野さんは、食費住居費付き、学費無料で研修生を農場に受け入れている。1年間、この農場の農作業に参加でき、農業の知識を学ぶことができる。この活動を通じ、彼は国境を越え、農業を愛する友人をつくった。2011年3月11日、東日本大震災が起きた際は、新疆で農業をする友人が電話をかけてきて、「日本は放射能漏れがあったら新疆に来ればいい、ここなら生きていける」と言ってくれた。台湾の友人は、「すぐに逃げてきなさい」と電話をかけてくれた。古野さんは、こうした友情に非常に感銘を受けた。

 

 「待つことを学ばなければならない」

 

40年間農作業を続け、春の田植え、秋の収穫を通じ、古野さんは待つということを学んだ。「農業と工業の最大の違いは、農業は待たなければならないが、工業は待つ必要がないということ。現在の人々は待つという忍耐を忘れている」と、彼は離す。

 

彼はこう例える。たとえば、工場で一か月に一万台の自動車を生産していたとする。もし売れ行きがよければ、次の月は大幅に生産を増やし、三万台にすることもできる。だが、農業はそうはいかない。作物の育ち方に合わせなければならず、急ぐことはできない。農業の生産技術が向上し、四季を通じていろいろな果物を買うことができるようになって、果物の味とそれを食べる人の気持ちは、以前と変わってしまった。

 

村に住む8世帯のうち、7世帯はすでに農業の近代化を果たし、ビニールハウスで野菜や果物を育てている。古野さんの家だけが、最も自然な露店栽培を堅持している。肥料までも自家製で、カモや牛のふんを使ってたい肥を作り、貝殻の破片で植物にカルシウムを与えている。

 

「たい肥の成分は複雑で、作物がすべてを吸収するわけではない。ある栄養分は土壌の中にたまっていくので、土壌の質は上がっていく」「化学肥料のうちある成分は作物が受け付けないので、栄養が十分ではない。だから味も悪くなる」

 

「イチゴはいつの時期の果物か知っていますか?多くの人は冬の果物だと思っているが、それはクリスマスが一番高く売れるからであって、実際、露店のイチゴは5月に出荷する」と古野さん。市場に合わせるため、多くの農家はビニールハウスを使って、祝祭日に乗じていい値段で売ろうとする。こうしているうちに、農業に従事したことのない人は、イチゴは冬の果物だと思い込み、本来の味を忘れてしまうのだ。古野さんの孫は5月のイチゴしか食べない。冬のイチゴは水みたいで、味がないのでおいしくないという。

 

 農業でつくる”縁”

 

古野さんには5人の子どもがいる。娘も父親の有機農業を支持し、子どもたちは父親と同じように、大学を卒業した後、田畑に帰ってきて、有機農業に従事している。古野さんにとっては、家族と一緒に仕事ができ、子どもたちが健康な作物を食べられることが、幸せなことだ。

 

合鴨農法を始めたばかりのころ、カモは次から次へと死んでいった。新たな試みもみな失敗した。古野さんは、あきらめようと思ったこともある。だが、息子から「お父さん、どうしてカモを買わないの」と聞かれたとき、自分の一挙手一投足が子どもたちの目に映っていることに気づいた。そして、簡単にあきらめてはいけない、子どもたちの手本にならなければならない、と思った。

 

古野さんの自宅の入り口には、木の板に「直産直売」と書いてある。流通の部分を省くことで、本来、農家には20%しか残らない利益率を、大幅に引き上げることができた。古野さんは田畑のことだけを管理し、農業の研究をする。子どもたちが、ネットでの販売を受け持つ。古野農場の作物は、消費者が決まっている。顧客はネットで直接注文をし、二人の息子が配送を担当する。

 

古野さんは、自分たちと消費者の関係を親戚や友人のように思っている。子どもが結婚したときには、お祝いの手紙まで届いた。自伝の中で、古野さんは、消費者が自ら農業を体験し、「共通の体験によってお互いの理解を深めることで、より親しくなれる」ことの大切さを書いている。

 

彼は、消費者との関係が金銭のやり取りにとどまるのではなく、「縁農」の関係を結ぶこと--農業を通じて縁を結び、消費者が農場に来て、草むしりや田植えの楽しみを味わい、自分で育てた作物を食べるようになればいいと願っている。「私の理想とする農業は、生産者と消費者が一緒に努力し、一緒に働き、農業の労働によって得られる知識と楽しみをともに分かち合うことです」と、古野さんは話す。

 

日本の現在の農業就業人口の平均年齢は66歳という。「あと5年もたてば、農業がさらに発展する可能性はなくなってしまう。農村の伝統を守っていくことが、ひとつの生活スタイルになる」。将来の農業を思い描きながら、古野さんはこう話すのだった。

 

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